英国紅茶サロン メイフェア
コラム
◆第14回…メイフェア的快楽のススメ――ナポリターナは“きもちいい”
こんなタイトルの歌をご存知だろうか。
すべて「ナポリターナ」(カンツォーネ・ナポレターナ)というジャンルに分類されている名曲である。世界の音楽文化を担うオペラ歌手たちが、ナポリターナを好んで歌ってきた。パヴァロッティ、カレーラス、ドミンゴ、ディ・ステファノ、さらに古くはジーリやカルーソーといった名テノールたちが恍惚の表情で歌い、映画やテレビCMにもよく使われている。
かつて日本でも40年ほど前に、「帰れソレントへ」や「忘れな草」などが紹介されて大ヒットした。「サンタ・ルチア」や「オー・ソレ・ミオ」あたりなら、誰でも耳にしたことがあるだろう。
ナポリターナは、「きもちいい歌」として知られている。確かに、聴いているだけできもちよくなるし、歌えば震えがくるほどきもちいい。なぜナポリターナはきもちいいのだろうか。
ナポリターナの有名どころは、日本語の歌詞をつけて歌われることもある。しかし、それはあくまでも借り物。あるいは、別物。元の歌が持つ響きや雰囲気、味わいがかなり削ぎ落とされてしまう。
韻を踏むことによって生まれる独特なリズム感に至っては、ほとんど再現不可能。西洋音楽の“快楽”のひとつは、間違いなくそこにあるのに……。
せっかくなら、原語で歌ってみてほしい。たとえば「サンタ・ルチア」の出だしに、こうある。
Sul
mare luccica, l'astro d'argento
Placida e` l'onda, prospero il
vento
終わりの argento と vento
が韻を踏んでいる。イタリア語で歌うと、きもちよさが体感としてわかる。
さらには、ナポリターナをナポリ方言混じりで歌えたら、まさに“本物”。鑑賞するだけでなく、巨匠の作品を自ら再現できるのは、絵画や彫刻などにはない、音楽ならではの楽しみだ。
ナポリターナのみに特有の曲作りというわけではないが、ナポリターナに典型的に認められる形式に「短調から長調への転調」がある。
しみじみと心情を吐露する、あるいは切々と語りかけるように入る前半。そして、なにか吹っ切れたように明るい広がりを見せて盛り上がる後半。この「突き抜ける」「立ち上がる」「胸が開く」感じは、確実にきもちいい。
もちろん、このきもちよさを十分に味わうには、ベルカント(18世紀にイタリアで完成した発声法)で歌いたい。ナポリターナは、明るく輝くようなベルカント発声法で歌うから、きもちいいのだ。
ナポリターナは、新しいポピュラー音楽ではない。歌のコンクールでもクラシック部門に入るだけの格調の高さがあり、時の試練も経てきた。
オペラのアリアほど重くはないが、しかし軽い歌ではない。その格調の高さゆえに、オペラ歌手のレパートリーとなり得ているのだ。
大人が楽しみとして生涯歌い続けるだけの価値が十分にあるジャンルといえよう。この文化レベルの高さも、ナポリターナのきもちよさに貢献しているかもしれない。
こんな人がいる。60代の女性だ。お仲間の集まりでイタリア語で一曲歌ったら、一躍ヒロインになってしまった。
それまでは、おしゃべりも上手なほうではなく、みんなに披露できるような一芸に秀でているわけでもなく、本人曰く「パッとしないタイプ」。ところが、ある機会に「何か出し物を」と迫られ、仕方なくしぶしぶ無伴奏で「サンタ・ルチア」を歌ったところ、周囲の評価が変わる。
これこそ、音楽の力、質の高い教養の力だろう。ご本人は「拍手喝采を浴びたわけではないけれど」と謙遜する。それでも、「何かの折には必ず頼まれるようになって、そのうち一緒に口ずさんでくれたり」と楽しそう。かつてイタリア語で歌うレッスンを受けていたことで、一瞬にして一目置かれる立場になってしまった。
これと似たような出来事が、趣味の会や高齢者施設などで頻繁に起きているという話を、ナポリターナを教える先生から聞いたこともある。人々は、原語で歌うという質の高い教養に感心したのだろうか。おそらくそれだけではないだろう。ナポリターナそのものに、聴く人の本能に働きかけ、深い悦びを呼び覚ます力があるのだ。
メイフェアでは、ナポリターナやイタリア古典歌曲を教える「声のサロン」をおこなっている。平日コースと週末コースがあるので、詳しい日時は音楽会のページをご覧されたい。
言語学者でもあり、ナポリターナのきもちよさを熟知したテノール齋藤が講師を務め、ナポリターナを解説・指導する。発声法はもちろん、谷川須佐雄氏直伝のベルカント。
中には難しめの歌もあるが、じっくりと時間をかけて取り組むから心配は無用。ナポリターナのきもちよさを、ぜひとも味わってほしい。